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「腎不全。」と言われた話。

こんにちは。

あっこです。

 

家族が「腎不全」と言われた。

 

母が入院をしました。

 

7月中に腰を痛め、体が思うように動かせず自宅療養する中、

食事がほとんど食べられなくなり、

地元の医院での通院から、病院での入院になりました。

 

どのような状況なのか全くわからず、不安でいっぱいの状況の中

 

「腎不全」

 

というお話を、間接的ではありますが、聞くことができました。

 

治らない。

 

始めて聞いたその病気、腎不全というものはどんな病気なのか。

 

情報を調べて私は驚きました。

 

どうやら「治らない」もののようです。

 

何もできない。

 

人工透析という方法を採用している患者さんも大変多いというその病気。

 

高齢の母の体には、それは耐えられるものなのか、

また、腎移植という方法は、年齢的にも選択できない方法でした。

 

そもそも、

 

「私の腎臓を提供したい!」

 

と思ったところで、この腎臓は大丈夫なのか?

それもだいぶ怪しいと思われます。

 

「痛くてつらいよ。」

「会いたい!」

「退院したい!」

 

母のメールの言葉に、私は何もすることができません。

 

今の病院は、入院患者さんに面会できる状況ではなく、

母の痛みを取り除くことも

病気を治すことも

何もできない。

 

何をしても悲しい。

 

私は、何もできなくて、ただただ悲しくなってしまいました。

 

それと合わせて、

 

トイレに行く

ご飯を食べる

 

など、普段当たり前にしている行動の中でも

 

「今の母さんは、どんなに願ってもコレができない、、」

 

何をしても、悲しくて悲しくて、ひたすら悲しくなってしまいました。

 

取り返しのつかない人生

 

「こんな風にしていたら、こんなことにならなかったかもしれない。」

 

「もっとこうしていれば良かった。」

 

いろいろなことが頭に浮かびます。

しかし、過去にさかのぼることは不可能です。

 

もう、どうにもできないことが、いっぱいある。

 

それは母だけではなく、多くの人に対してそうだなあ。

痛感しました。

 

 

誰かとお話をするときや、何かをするとき、

相手の人は、自分と時間を共有してくれています。

 

それはつまり、

その何分、何秒、という時間、

「命」をプレゼントしてもらっている。

 

と感じました。

 

私は多くの人の命をいただいている。

 

それが幸福であったら良いのだけど、

相手の「命」を粗末にしてしまっていたのかも。

 

そしてそれは全て、過去のことだから、

「戻ってやり直す」

ことは不可能。

 

しかられた。

 

そのような状況の中、とてもお世話になっている方と、お話ができる機会がありました。

 

その人にも、今まで多くの時間をうばってしまったという

とても申し訳ない気持ちになっていたため、

上手く話ができなくて、とても悲しくなってしまいました。

 

 

そこで、その方にいただいた言葉です。

 

 

「作業が、はかどっていませんね。」

 

 

シンプルに、私は普段の今の活動について、指摘をいただきました。

 

 

ひたすら悲しくて、何も手がつかない。

 

私は、自らが、その時その時の「自分の命」を粗末にしている。

 

とても大切なことに気づかせていただきました。

 

腎不全ではなかった。

 

一昨日、嬉しいニュースが入りました。

 

母の検査結果などの、正しい情報を知ることができました。

 

診断名は、腎不全ではなかったとのことです。

 

連絡がナカナカ上手く取れない状況下、

私だけではなく、関わる多くの方が動揺したり、悲しかったり、

でもそんな中でも、真剣かつ、必死です。

 

しかしながら、現在の診断は「腎不全」ではないとは言え、

腎機能がとても弱っている状況です。

 

回復するために、腰の治療と合わせて、

今日も母は病院で頑張っています。

 

 

何かする。

 

私も、いつまでもクヨクヨしているワケにはいきません。

 

「何かする。」

 

大切な人のためにも。

自分自身のためにも。

 

「時間」

「命」

 

を粗末に扱わないように。

 

何かをしよう。

 

強く思いました。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

ではまた。

あっこでした。